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 鏡餅再考。(2007/12/25)

正月には餅を飾れ


鏡餅、というと、年末から年明けにかけて安置される正月における縁起物のひとつでありますが、本体である餅以外にも様々なオプションが装備されています。
これもまた一つ一つ、意味のある縁起物であるのですが、どうも前から、ちょっと気になっているのです。

装備されるオプションには地域の風習によって色んなものがありますが、一例としてこのような鏡餅を挙げます。




ペイントで描きましたが何か。



色々省略しておりますが、餅の上に乗っているのは「だいだい」
それを横切るように串に刺さっている、計10個の「干し柿」
餅の下、前面に見えるのは「昆布」
それぞれにはそれぞれの意味があり、

 「だいだい」は、この家が「代々伝わりますように」→子孫繁栄
 「干し柿」は、外側に2個ずつ、内側に6個配置する事により「外はにこにこ、仲むつまじく」→平和祈念
 「昆布」は「よろこぶ」→幸福祈願

 (他にも色々意味はあるようですが、とりあえず)

とのことです。


・・・ダジャレじゃねえか!と。
なんですか。昔の人はみんなデーブスペクターですか。
お節料理など、他のいわゆる「縁起物」と呼ばれるものにもその傾向が顕著にみられますが、語呂合わせの部分が多すぎる。
言葉遊びの域を出ない縁起物定義っぷりに驚きつつも、これが「粋」という事なのかなあとも思いました。
毎年毎年、大まかな願いを、ダジャレと共にかける。粋ですね。

しかし、時代は21世紀。
複雑化したこの物質社会としての現代においては、この鏡餅では、はなはだ漠然としすぎてはいないか。
時代に合った、現代には現代なりの表現の仕方があっても良いのではないか。
抽象的広範囲ではなく、もっと具体的に、マクロでピンポイントに願い事を示したほうが、年神様も理解が容易くなるのではないか。
それが、思いやりというものではないのか。
こう考えた俺は、そろそろ21世紀にふさわしい形の鏡餅、いわば「鏡餅21」の姿を模索してみたくなったのです。




基本となる触媒を構築






まず餅。
これを代替する存在は皆無であり、これがないと「鏡餅」ではなく「鏡なんとか」と名称が変わってしまうので、ここは崩さずに従来のものをそのまま使います。
四方紅は、なんとなくかっこいいので残しました。

そもそも鏡餅に込めるものは様々な「願い」であり、健康にしろ幸せにしろ、それらはすべて「欲しいもの」として言い換える事ができます。
人間の願い、欲求、欲望をのせ呈示し、それを成就させる為の触媒である鏡餅。
そもそも前提として「欲しいものを手に入れたい」という願いの部分が、土台として必要であると思うのです。
言葉遊び、語呂合わせ、林家ペー並のダジャレでそれをあらわすという「粋」に倣い、まず最初はこのように装飾することにしました。




干し芋を




L字型に切り




餅の正面に据える



干し芋のL

ほしいものえる

欲しいもの得る!!


そう。
前提としての「欲しいものが手に入りますように」という願いを込めて前面に据えたこれにより、ただの重ねた餅であった物体が、「何でも願いがかなう魔法の触媒」へとレボリューションしました。
ひな形であるこのプレーンな鏡餅に、個人が自分の願い事をトッピングしてゆくことで実現する、オールマイティ鏡餅。
漠然とではない、自分でカスタマイズしてゆくことにより、どんな細かい願いにも対応できます。
これならわかりやすくて、年神様も安心ですね。
ちなみにこの「干し芋のL」の代わりに、手に入れることができればマンガン(元素番号25 元素記号:Mn)でも良いと思います。
マンガン。つまり、願いが叶うという意味の「満願」とかかっている訳ですが。

これが次世代鏡餅、鏡餅21のシステムです。
さあ、あとは個人個人が、それぞれ具体的に何が欲しいのか、ここへ好き勝手に追加してゆけば良いのですよ。
ダジャレで。




欲望をのせて


とりあえず、自分は今、一体何が欲しいのかと考えを巡らせてみます。
新しいデジタル一眼レフカメラだとか高価なレンズだとか、大画面液晶(もしくはプラズマ)テレビだとかまともに走る新品の原付バイクだとか。物欲は尽きません。
でもとりいそぎ必要なものというとこれ。防湿庫。
カメラ機材を湿気や埃から守り、故障等の不具合なく保管する為のものです。
買おうと思えば買えるのですが、なんか踏ん切りがつかなくて。
値段も中途半端なので一大決心なども必要ではなく、ズルズルと購入を先延ばしにしております。
頂けるものであれば是非欲しいと。

ともかくここは、防湿庫をダジャレで表現、鏡餅と一緒に飾ります。
ゆえに




帽子2個(ぼうしツーこ)



完璧だ。
年末から鏡開きまでの間、これを家に飾っておいたあかつきには、年神様から防湿庫が贈られるのです。
もう梅雨の時期にビクビクする必要もなくなる。非常に喜ばしいことです。やったぜ。
これで2008年も安泰ですな。


・・・いや、いくらなんでもこれはぶっちゃけ過ぎやしないか。
このありえない画づらをみて、ふと冷静に考えてしまう。
俗っぽすぎる。常連客におねだりするキャバクラ嬢か。下品な。
日本の神様へ向けた祈願は、もう少しこう、奥ゆかしく厳かであったほうが良いような気がする。
こんなにもピンポイントに物欲全開では、年神様にもあきれられてしまうかもしれません。
まったく最近の若いモンはなどと煙たがられることうけあいですよ。若くねえけど。

やはりこういう時、私利私欲に走ってはいけませんよね。考えを改めました。
神様じゃなくとも、人格を疑われてしまいかねません。
漠然とした願いだっていいじゃないか、人間だもの。

とりあえず防湿庫は却下。鏡餅はクリアな状態に戻します。
では何が良いのかと、再び考えを巡らせます。




人類の願いを


「耕耘機」を飾って「幸運」だとか、「くない」を飾って「苦労しない」だとか色々考えはしましたが、結局は個人の欲望を満たすだけで、自分以外救えないものばかり。
こんなことではダメだと一旦心をリセットし、瞑想にも通じるようなピュアな心、まあひらたく言うと、本当にぼーーーっとしながら考えたところ、ようやくたどり着きましたよ。人類の願いというものに。まさに悟りの境地。

これをダジャレで表現するには、まず岩がごろごろしている場所に行かなくてはなりません。
該当する場所を脳内検索いたしまして、はじきだされた所に行って参りました。
寒風吹きすさぶ中、三浦半島最南端の城ヶ島へ。




片道3時間 往復6時間



そして「あれ」にふさわしいモノを探して、探して探して探し続けること2時間くらいしたでしょうか。
遂に見つけたのです。人類共通の願いとしての、あの形をした「岩」を。









へ岩




よくぞここまでしっかりと「へ」な岩があったもんだと感謝感激しつつ、この「へ岩」を鏡餅と共に飾って願おう。
よく晴れていて、相模湾のむこうにうっすらと富士山も見える好ロケーション。
きっと年神様からもよく見えることでしょう。苦労も報われるというものです。








平和を





そう。我、願うは平和。
このビッグなスケールで人畜無害、みんなを救うべく慈しみにあふれた高尚な願掛けに、世の年神様たちも感涙を禁じ得ないはず。
世界が平和であれば、それでいい。自分個人の有益よりも、大勢の人の幸せを。
なんという美しき自己犠牲の精神でありましょうか。
こんな願いごとをする人にならば、防湿庫をあげてやっても良いぞよという神の思し召しがあってもおかしくないと思う。
まさにこれぞ、急がば回れ。一石二鳥。魚心あれば水心。
年末年始も、梅雨の時期も安泰ですよ。




裁きのいかずち


城ヶ島での「平和祈願」ですが、干し芋の部分にものの数分で虫が大量にたかってきたので引き上げました。
そもそもあんな風光明媚な景勝地に、こんな訳の分からん祭壇まがいのものを鎮座させていたら怒られます。
不法投棄とも言える。
自然破壊が進み、魚はダイオキシンに汚染され、海鳥たちは原油まみれになるのです。

よかれと思ってしたことが、結局は地球を泣かせるような結果になるだなんて。
チーム-6%の方々と島民の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいで、打ちひしがれた思いを胸に帰宅した俺は、ブラックな心に魅入られてしまい、気がつくとダークサイドに墜ちておりました。

で、最終的に鏡餅はこのように落ち着いた訳であります。




人間





人間



これはですね、「お金がほしい」という願掛けなのです。
何故「人間」なのかというと、結局はこの世で一番怖いのは人間なんだなあと思う訳で。
怖い。おっかない。おっかねえ。お金。
我ながら、今時和田勉でも言わないスポンジ脳的発想ですね。更にサイコ脳。
しかし実際、人間を供えたりすると、それこそサイコというか犯罪なので、ひとがた(形代)に置き換えています。
確かに、お金では得ることができないものもある。
でも大概のものはお金で手にはいるよね。ふふふ。
どうぞ人格を疑っていただきたい。






これで本当に落ち着きました。
試行錯誤の末、三度目の正直。今年のうちの、鏡餅21の姿です。
テレビの上にかざって越年し、鏡開きの日に餅を食べよう。
年に一度くらいしか食べる機会がないんじゃないかという事で有名なきな粉の出番ですよ。
そういえば鏡開きっていつだったっけ、と思いながら、ひとっ風呂あびてさっぱりしてきた後、部屋を見回したとき。
なんだか違和感を感じます。




上の画像と間違い探し





こたえ:ドロップ&デストロイ



こ・・これは、どうしたことか。
天罰か。度重なるやりたい放題に、仏の心も三度まで。とうとう神々の怒りがアタックをしかけてきたのでしょうか。
・・・いや、わかってる。これは我が家に棲む猛獣どもの仕業なり。

いつもならば、見慣れない物体に対する好奇心からちょっかいを出し、ついには落下させてしまったのだとか、干し芋の匂いにさそわれてふがふがしてたら落としてしまったのだとか、単にジャマだったから除けただけだとか、そう思い流すところであります。
しかし今回はやはり、これは猛獣どもを通じた神の裁きであったのだと感じます。
これだけ好き勝手やっていれば、神様もお怒りになられますよね。ごめんなさい。
ころころと願い事を変えて、戸惑わせてしまってごめんなさいごめんなさい。




くつろぐ我が家の猛獣ども



どうか皆様方がこの鏡餅21を祀られる際には、安易に目先を変えず、こうと決めたらどんと動かさない覚悟で臨んでいただければと思います。
でないと、天罰が下りますよ。




先を越されてた





余談になりますが、スーパーの鏡餅売り場にて、だいだいではなく2008年干支のネズミが乗っているものを見つけました。




人形ですが


勿論デフォルメされたかわいい感じのものであり、これがリアルバージョンだったなら、俺はある意味強烈に物欲を刺激されたに違いないのですが、ここで疑問に思ったのは、干支だからって何故ネズミが乗っているのかということ。

いや、これは。
俺が考えるよりも早くに考案された次世代鏡餅のかたちであって。
ネズミ=寝ず身=「眠る暇がないほどに忙しく商売繁盛祈願」
もしくは「寝なくても平気な体がほしい願望」のあらわれである事を、冷静に読み取りました。

俺と同じような事に気づき、考え、そして先に形にされたという事実を突きつけられ、若干へこんだ2007年末大晦日でした。





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2007.12.25 19:12 | ネタ | トラックバック(0) | コメント(-) |